小学校の英語の授業に取り入れたらどうかと思ったこと

教育関連一般

小学校5,6年生で英語の授業が教科化されることが決定され2020年から全面導入されることは皆さん既にご存知のことと思います。

筆者なりにそのことについて考えてみたことを書いてみたいと思います。

小学校での英語の教科化と子供たち

帰国子女の場合

英語圏で数年過ごした子供にとってはこの時間というのはもしかしたら少し気まずいことがあるかもしれませんね。

というのも、教科化され成績がつけられるようになるけれどもそのレベルや内容に関してはもちろん基礎の基礎になるでしょうから、もう知ってるな…と思っていても言えませんし、もしかしたら先生によっては発音のお手本をお願いされることもあるのでは・・・、と思ったり。

筆者の親しい帰国子女の友人が7年間の駐在生活から中学校2年生の時に帰国したら、英語のテストであっているのにバツをつけられていたので先生にそれを報告しに行ったところ、日本ではこんな言い方はしないんだ!、とけんもほろろだったそう。その後も英語の先生からは敵視されていたようです。最初の頃はこうした先生の態度に失望し怒りも感じていたそうですが、よくよく考えてみたら先生も大変だよな・・・という心境に至りその後は何も言わずおとなしくやり過ごしていたそうです。

大した問題ではありませんがこんなことももしかしたら起こるかな、と感じます。

小学校で英語を学ぶ目的はなに?

話しが逸れましたが、現状をよく考えてみると英語教室が習い事として非常に人気があり小学校での英語教育が本格化することを受け更に英語の早期教育熱が高まっている昨今、帰国子女でなくても多くの子供たちが既に英語に慣れ親しんでおり授業内容よりも先に行っている子供が多いのではないかと予想します。全く触れたことのない子もいるでしょう。

ちなみに文科省では英語教育の目的を下記のように設定しています。

外国語活動においては、音声を中心に外国語に慣れ親しませる活動を通じて、言語や文化について体験的に理解を深めるとともに、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育成し、コミュニケーション能力の素地を養うことを目標として様々な活動を行います。    (文科省HPより引用) 

年間70時間ほどの貴重な授業時間が英語に割り当てられるため”楽しい”、”英語に親しむ”、”読み書きができる”、”少しコミュニケーションがとれるかもしれないというレベルまで達する”、ということに注力してしまうと少しもったいないような気がしますし、すでに英語教室や通信教育・オンライン英会話など英語にアクセスする手段が乱立している中で、学校という場でこそできる英語教育というのがあるのではないかと思います。

”グローバル社会で英語は必須だから”!?

大人は英語を学ぶ目的としてこれが真っ先に頭に浮かぶかもしれません。そして端的に言うと結局はこれが命題になっているのではないかと思います。

実際に英語教科化を議論するにあたってもこの文言が多用されました。

でも、これって子供に響くかなぁ・・・??英語を学ぶ本質ってそこなのかな・・・?

と筆者は大いに疑問に感じます。

物事を学ぶ際には目的の設定がモチベーションに大きく関係します。現在筆者はMOOC(Massive Open Online Course)で”What Future For Education”というコースをとっています。コースの中で効果的に学ぶためには何が必要か自分の考えを問われたのですが、筆者は”目的を明確に設定すること”と答えました。

それが正しいのかはわかりませんが、公教育で英語を教科化するという意味と目的を今一度考える必要があると思います。

”英語を使えるようになること”ではなく”英語で何を伝えたいか”

英語の授業って”英語で読み書きができる”、”コミュニケーションが取れる”、ということが目的なのでしょうか?

海外旅行で困らないため?

仕事で使える英語をモノにするため?

経済産業界も”仕事でつかえる”英語の使い手を欲しがっています。でも、学校教育の場が仕事で英語を使える人材を育てる、という事を目的としてはならないと筆者は思っています。

あくまでも英語は手段だからです。初等・中等教育は特にそういうものから切り離して英語教育を考えるべきです。

実際にコミュニケーションの場に立ち、英語が話せても伝えたいもののない人は取り残されます。語学ではなくその人の考え、経験、教養、伝えるべきものを持つという事こそが重要です。

そのことを子供達にも何となくで良いので念頭に置いて英語に触れてほしいなという気がします。

高等教育、大学まで続く英語教育の目的

”グローバル人材”、を育成したいのですよね?

ではこの”グローバル人材”ってどういう要素を兼ね備えた人を言うのでしょう?

文科省の掲げる”グローバル人材”像

・語学力、コミュニケーション能力

・主体性、積極性、協調性

・日本人としてのアイデンティティと異文化理解

・上記に加えて幅広い教養と高い専門性

などなど。

筆者の考える”グローバル人材”像

筆者は”グローバル人材”必要要件を下記の3本柱と考えています。

・自分自身についてしっかり理解しそれを他者に言葉で伝えることができる

・知識と経験を兼ね備え、環境が変わっても自分の足で立てる

・違いを尊重し、異なる文化と人に敬意を持って接することができる

そのために必要なことは大きくこの3つになろうかと思います。

・自分を知る

・世界を知る

・多様性を知る

この3つを英語の授業でできないだろうか、と思うのです。

小学校の英語授業で使われるテキスト

文科省のHPで英語の授業で使用されるテキストが閲覧可能です。

筆者もざっと目を通してみました。

イラストも可愛らしく見やすく親しみやすいビジュアルと内容です。聞き取り問題があったり、自分で会話の内容を考えたり、自分の考えを発表したりとアクティブラーニングを取り入れ思考力を鍛える授業構成となるよう、よく考えられたものだと思いました。正直、提携文言の繰り返しなのかなと思っていたのですがそうではないようです!

これはどうでしょう?-他教科での学びを英語の授業の中で生かす

例えば、道徳の授業があります。

学習指導要領の中で5,6年生においては自分を知り他者や社会との共生への理解を掲げています。

さらに授業の中に伝記や自然、伝統文化やスポーツなどの題材を取り入れて自分の考えを書いたり、意見交換する機会を設ける、としています。

例えば道徳の授業で出てきた人物の中からそれぞれが興味を持った人物に関して英語で書かれた文章をインターネットで探し、何故興味を持ったのか、調べてみて発見したことや感じたことを発表する、という取り組みはどうでしょうか?

子供たちが既に他の教科の学習を通して得た知識に関連付けた英語の本や情報を読み、それを通して、感じたことや考えたことを英語を使って発表するというような”英語を読むこと・自分の考えを組み立てる”というような授業を行う方が、英語とその他科目の定着度・応用力を培えるため、後々の伸びが大きいと筆者は考えます。

使うテーマも資料もごくごく簡単なものからスタート。先生はももともとある英語の知識で対応することが可能と思います。また、こうした既にあるもの、インターネットを利用することにより予算が格段に安く済むはずです。

インターネットから自分の欲しい情報をとる、というのも一つの学びです。

興味のあるテーマを設定する作業や考えをまとめて伝える事、全てが学びです。

そして、他のクラスメイトの発表を聞くことでそれぞれの考え方感じ方の違いを知ることができます。クラスこそ、子供にとっての一番身近な多様性の場です。なにも外国文化を知ることが多様性、世界を知るという事ではありません。足

筆者の考える”グローバル人材”像に至るのに重要な三本柱、自分を知る、世界を知る、多様性を知る、ということが今ある環境を使ってこの取り組みによって叶えられます。

帰国子女の経験をクラスと共有

以前に書きましたこちらの記事。

帰国子女受け入れー特性に配慮するってどういうこと?
駐在先から日本にもどり学校生活を始める我が子。 一番の心配事はなんですか? 途中で入ってきてクラスに馴染めるか 授業についていけるか 感覚のずれを本人と周りがどれだけ感じるのか 先生やクラスメイトとうまくやって...

文科省の帰国子女の活用、という指針もこの取り組みで実現することができますよね。海外在住時の経験など、こういう場で話すと他の子供にとってもすっと入ってくるのでは、と思います。

また、英語を勉強することが目的ではなく、手段として英語使う、ということを実感するできるのではないでしょうか?

こうした取り組みはテーマを変えてどんどん応用できるので、準備する先生の負担もそこまで大きくはないのではないかと思います(先生、本当に大変だとおもいます)。

使える英語にこだわる文科省

これには”中高大と英語を学んだはずなのに全然しゃべれるようにならなかった!”という批判があったから、経済産業界から即戦力として使える英語の使い手の輩出を求められているから、ということが推察されます。

ですから学習指導要領を見ても”体験的コミュニケーション”という言葉が多用されています。

時間的にも環境的にも小学校でできることは限られています。

殆どの子供たちが同じ環境で育ってきた日本人です。その中で体験的コミュニケーション、を模して何かやってみても効果はあまり見込めないのではないでしょうか?

先生方の負荷を考えても無理のある”体験的コミュニケーション”にこだわるよりも、その先の英語教育につなげていくための土台を作るという意味では到底定着しないであろうヒアリングやスピーキングを重視するというのは効果は薄いと考えます。

小さなころから英語に触れさせたい、英語ができるようになってほしいという社会や親の要望は止められないでしょう。しかし、今後小学校で英語教育を展開していく中で見直しをしながら進めていかなければならないと思います。

小学校でのより良い英語教育を考える中で浮かび上がった大きな問題

・前提条件の違う子供たちに一斉授業で英語を教えるという事

これは他の教科にも勿論言えることですが、子供たち一人ひとりの持つ英語スキルと言うのは大きく違うと思います。そんな中一斉授業をおこなうということは非常に効率の悪い話であると思います。

この問題は少し掘り下げて考えてみたいと思いますのでまた別の機会に触れようと思います。

終わりに

書きたいことがありすぎて話が膨らんでしまいました。

実は、もう一つどうかと思っている試みがありますのでまたしっかりリサーチして記事にしようと思っています。これは子供の学校でも行われている授業ですので担当の先生にインタビューしたいと考えています。

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