まずはこの記事を開いて下さっった皆様にこちらの詩を贈りたいと思います。
『子どもと本』 谷川俊太郎
子どもよ
物語の細道をひとりでたどるがいい
画かれた山々を眼で登りつめ
洞穴の奥の竜の叫びに耳をすますがいい
子どもよ
物語の細道をひとりでたどるがいい
画かれた山々を眼で登りつめ
洞穴の奥の竜の叫びに耳をすますがいい
子どもよ
本の騎士と戦い本の王女に恋するがいい
煮えたぎる比喩の大鍋の中の
昨日にひそむ今日をむさぼり食うがいい
子どもよ
意味の森で迷子になるがいい
修辞の花々に飾られた小屋に逃げ込み
魔女に姿を変えた母親に出会うがいい
そして子どもよ
なんどでも本を破り捨てるがいい
言葉の宇宙を言葉のはてまで旅して
ふたたび風船ガムをふくらますがいい
出展元:「手紙」谷川俊太郎 集英社 1984年
この記事を開いて下さった方はご自身が読書が好きだったり、子供に良書に触れさせたいと願っているのではないかと思います。
筆者はこの詩は本を読むことの醍醐味がどんなものであるかをぎゅっと凝縮して表現していると感動しました。
同時に作者の深奥な教養・洞察力・表現力に感嘆しました。
世界を広げてくれる読書という冒険
文章を読むことは、現実では体験できないことを体験できる、見たこともないけれど頭に思い浮かべることができる、行ったことも無いけれどそこに行ったような気になれる。”経験する”に近いものがあるのではないかと思います。
”マチルダは小さな大天才”-ロアルド・ダール著
という本の主人公であるマチルダは天才児でした。ところが家族の中にそれに気づく者はなく、それどころかマチルダの知性や好奇心を非難し、本を買ってくれと言うとテレビがあるのに本を欲しがるなんて甘ったれるな!と怒り出す始末。マチルダは両親の目を盗み一人図書館に通い司書の薦める、「大いなる遺産」を皮切りに「オリバー・ツイスト」「ジェーン・エア」「老人と海」、といった古典を次々に読破していきます。
本の中に
”ヘミングウェイは私のわからないことをたくさん言っています。でも、わたし、それでもあの人の本はおもしろかったんです。あの人の書き方ってまるでその物語の場所に私がいて、そのできごとを、実際に見ているような感じがするんです”
出展元:「マチルダは小さな大天才」(ロアルト・ダールコレクション16) ロアルト・ダール著
というマチルダのセリフがありました。
無教養で無理解な両親のもとに生まれついた天才児は物語に浸りきることで外の世界と出会い、無秩序な家と図書館にしかなかった自分の現実世界から抜け出ていきます。
読書の力
子どもに難解な本は理解できない、ということでダイジェスト版や文章や表現が易しく書き換えられたものを与えようとする親御さんがいます。それは大人の世界も同じで、古典の名作を一つ一つ読むのは大変だからあらすじだけを紹介したものなどがうけています。
でも、子供は複雑な物や未知なものが大好きです。
昔話などは時代背景も全く違いますし聞きなれない言葉のオンパレードです。
でも、子供は惹きつけられます。
これはまだ難しいから無理ね、と決めつけてしまわず試しに触れさせてみてください。
もしかしたら子供の何かの扉を開くきっかけになるかもしれません。
そして本と現実世界がリンクする瞬間があります。
その瞬間の高揚感。
きっと心の中に深く刻み込まれ、豊かな人間性が育まれます。
また、読書をする子は言葉という武器を同時に持つことができます。
自分の考えを表現するための言葉を多く持つというのは非常に大切なことです。
読書と体験を積み重ね、言葉と経験の豊かさがその子をずっと支える杖となってくれることでしょう。
目に見える効果を求めない
子どもにとって読書は楽しむためのものです。
教養をつける、頭を良くするためにするものではありません。
それは後からついてくるものです。
何度お話を読んでもちっとも語彙も増えないしお話も全然覚えてない!
とがっかりしなくても大丈夫です。
子供は何も言わなくても何かを感じています。
頭のどこか片隅にずっと眠っているけれどそれがいつか何かのきっかけで呼び起こされる時がきます。
その時、きっと本を読んであげて良かった、と実感するはずです。
親子でたくさん本を読みましょう!
コメント