【家族で挑んだビジネス】ーレインボールームのサクセスストーリー

子供のための教養

みなさんはrainbow loom、レインボールームをご存知ですか?

小さな輪ゴムをあみあみしてブレスレットやヘアバンド、強者になると洋服まで作ってしまうというあの商品です。

随分以前からある商品ですが、その裏に隠されたストーリーを知ったのはつい半年ほど前でした。そのストーリーを知った時に衝撃を受けて絶対に記事にして皆さんにも知ってほしいと思っていました。

ブームは過ぎ去りもう勢いのなくなった商品ではありますがこのストーリーには様々な示唆が含まれていていますのでお読みいただけたら嬉しいです。まずこの記事ではその商品の誕生から爆発的ヒットするまでの軌跡をご紹介したいと思います。

レインボールーム誕生までの軌跡

発明者の生い立ち

rainbow loomの発明者Cheong Choon Ng氏はマレーシアの田園地帯に生まれ育ちました。氏の家はゴム農場を営んでおり、たまに農園に連れられて天然ゴムについてその性質などを教えてもらっていたそうです。そしておもちゃなどではなく、身の回りにあるもので何かを作って遊んでいたようで、輪ゴムを使って縄跳も作っていました。

ー生まれた時からゴムに囲まれた環境だったようですね。そして、おもちゃなどの物が豊富にないぶん自分たちで工夫して身の回りの物から何かを創り出すということが当たり前という環境も後の発明に大きく寄与していそうですね。

発明者の人生

小さい時から技術者になりたいと思っていた氏でしたが、マレーシアの人種定員枠制(人種により大学進学に定員枠を設けている、マレー系民族であるブミプトラ優遇制度)により、地元のマレーシアの大学には入ることができませんでした(氏は中国系)。大学進学のために英語もほとんど話せない状態でマレーシアからアメリカに渡りました。

大学を卒業した一年後アジア通貨危機が起こり、マレーシアに帰国して就職していた友人のほとんどが職を失うという状況だった一方でアメリカの経済は好調。エンジニアの学位があれば職を見つけることは容易かったため氏はそのままアメリカに残りました。

ー皆さんはマレーシアで現在もこうした先住民であるマレー系優遇政策がとられているのをご存知でしたか?筆者は氏の生い立ちについて調べてみて初めて知りました。マレー系、中国系、インド系と大きく3民族により形成される移民国家であるマレーシア。物価の安さや治安の良さ、温暖な気候から移住先としても人気がありますがこうした民族優遇政策は政治リスクの火種にもなり得ますのでこうした現実も知っておく必要がありそうです。

そして転機が訪れる

ある日氏の娘2人が輪ゴムを使ってブレスレットを作っていました。氏は昔輪ゴムで縄跳びを作っていたあの要領で一緒に子供達と作り始めましたがなぜかうまくいかなかったため氏は改良に没頭しレインボールームの前身となるものを創り出しました。

2人の子供たちがそれで作ったブレスレットを学校に持って行ったところみんなが作りたがると言う大変な反響があったそうです。

遊びからビジネスへ

子供の遊びから始まったこのアイディアですが、長女のそれを売ってはどうかという提案を受けて氏は日産でのエンジニアとしての仕事を続けたまま製品の改良に励みます。それから数か月間試行錯誤を続け、とうとうrainbow loomが完成します。

大きな賭けに出る

子供達の学費の為の貯えであった$10,000を投資し、rainbow loomの道具と輪ゴムを中国の工場に依頼し製造。商品として市場にうってでる大きな賭けをしました。

氏の住んでいるミシガン州のおもちゃ屋さんに子供たちを連れて営業に回りましたが、反応は芳しくありませんでした。

氏は子供や子親戚の子供に依頼してブレスレットの作り方の動画を作成し、YouTubeに載せました。また、無料のワークショップをおもちゃ屋さんで開催します。

そうした地道な活動を経て成功への足掛かりをつかんでいきます。

人気が爆発

ある一つのおもちゃ屋さんから12個注文が入りました。それから2週間足らずでおなじおもちゃ屋さんからなんと$10,000もの注文が入ったのです。

それから先の快進撃は現在のrainbow loomの浸透ぶりからもわかると思います。

発明者の人生が教えてくれるもの

rainbow loom誕生の軌跡をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

筆者自身色々と考えさせられました。

今一度じっくりと考えて筆者が感じたことを次回の記事でお伝えできたらと思います。

皆様の感想もぜひ、お寄せ頂けたら嬉しいです。お気軽にコメント頂けたらと思います。

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