グローバル企業、グローバル教育、何にでもグローバルがつき、学校案内を見ても段々うんざりしてくるぐらいグローバルという言葉のオンパレードです。
”グローバル人材”ってどういうもの?
グローバル人材の定義ですが、文科省が掲げるものは
グローバル化が進展している世界の中で、主体的に物事を考え、多様なバックグラウンドをもつ同僚、取引先、顧客等に自分の考えを分かりやすく伝え、文化的・歴史的なバックグラウンドに由来する価値観や特性の差異を乗り越えて、相手の立場に立って互いを理解し、更にはそうした差異からそれぞれの強みを引き出して活用し、相乗効果を生み出して、新しい価値を生み出すことができる人材。
引用元:文部科学省,2012年【資料2PDF】グローバル人材の育成について
です。
世間一般のイメージでは外国語を流暢に操り世界中を飛び回る高給取り
と、こんな感じでしょうか?
私自身、グローバル人材と聞くとあくまでも一個人としてのビジネス面での成功に重点を置いているように響きます。例えば外資系投資銀行やコンサルに勤めて年収数千万円超え、みたいな感じでしょうか。
人間を支えるものが揺らいでいる
ここでお伝えしたいことはグローバル人材、グローバルシチズンであることの損得やどちらが良いかではありません。
例えば、ビジネスの成功を目指すとしても、そのビジネスはあくまでも安定した社会基盤の上でしか成しえません。世界がもしも混とんとして無秩序であれば今あるようなビジネスの成功を実現するのは難しいでしょう。
秩序の保たれた安定した社会基盤を実現するために必要となってくるのは社会を構成している私達一人一人の良識であると思います。
それが今揺らいでいると感じている人は多いのではないでしょうか?
安定した社会、人間のモラルというものを支えているものはなんだと思いますか?
私は”愛”であると思います。
人と人との繋がり
家族を持ち子供を育てる責任と尊さ
生物38億年の悠久の営み
そうした人間の根幹をなすものが個人主義という名の元に隅に追いやられています。
自己責任だからでしょうか?ひきこもる人がいたらその家族がちゃんと育てなかったから、本人にこらえ性が無いからなのでしょうか?私は違うと思います。誰しも流れから滑り落ちることはあります。でも、その時に手を差し伸べる人やシステムが無いことが問題なのだと思います。
人間だれしも優しくされたい、愛されたい、そして優しくしたいし愛したい。
そう思っているはずです。でも、そんなこと言える空気ではありません。
多分不安だからではないでしょうか。
この先どうなるのか。
誰かに非難されやしないか。
自分が当事者となり憎悪の対象になりはしないか。
安定した職に就けるのか。
経済的に困窮しないで生きていけるのか。
不安で不安で仕方がないから我慢して差しさわりの無い日々を送ろうとする。だから少しでも人と違っていたり人よりおいしい目にあっているような人を見ると寄ってたかって引きずりおろそうとする。そんなサイクルに陥っている気がします。
どうしたらその不安を払しょくできるのか
学び続け知ること=グローバルシチズンであれ
これは結局は言葉のとらえ方の違いであり本質的な議論ではないのかもしれませんが、私はグローバル人材とグローバルシチズンとの違いをこのようにとらえています。
グローバル人材:ビジネスシーンを前提としてビジネスマンとしての成功を追求するもの
グローバルシチズン:地球規模で自分自身をとらえ未来に責任を持って行動する人
私たちは国家というシステムの中で生きています。システムの最大単位は究極的には宇宙になるのでしょうけれど、そこまでいくと訳が分からなくなってしまう(私は)ので、地球ととりあえずしてみたいと思います。
(例えばモンテッソーリのコズミック教育なんかは宇宙を起点ととらえるのでモンテ教育に親しんでいる方にはごく当たり前の考え方なのかもしれませんね。)
そして、システムの最小単位は自分自身です。
学び続けるというのは決して学校に通うとかセミナーに行く、とかそういうことではありません。
なんでもいいから自分なりに興味を持って見聞を広げてみる。
責任を持ち、それを果たしていく。
そして自分自身を社会や地球というシステムの中にどう組み込んでいくのか。そしてどのような役割を果たしていくのか考え続ける。そういう意識を持つことがグローバルシチズンであるという事だと思います。そして、そうした一連のことが不安を少しずつ取り除いてくれるのだと思います。
私たちにできる事
このサイトを訪れて下さる方の殆どが育児中であると思います。
私たちが一個人として、親としてできること。それは・・・
子供達に沢山愛を注ぐこと
ー愛されることを知っていれば愛することができるから
子供が子供でいられる時間を大切にしてあげること
ー子供は未来のために生きているわけではなく、今を生きている。その時を思い切り楽しむことが心を強くする
子供の中に自然への畏怖の念を育てること
ー今いる私たちも生物38億年の進化の通過点に過ぎないこと、人間は万能ではないこと、自然に生かされている意識をもつことで次世代に豊かな自然を受け継いでいくという視点を持つ
人間の考え方、善悪、全ての基準は所詮はセンチメントです。
曖昧で無責任です。
けれど、そんな中であっても”愛”というのは人間を強く優しくし、そのような人に支えられた社会はきっと明るいに違いありません。
優しさに溢れた社会の担い手に自分自身も子供もなれるよう心掛けていきたいと思っています。
一介の主婦が生意気な事を書いてしまったと恐縮していますが、思うところがあり思い切ってお伝えしてみました。読んで下さり心から感謝致します。
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